『幸せになる生き方』に、改めて考えさせられた
こんにちは、こぺぱです。
今回は、『幸せに生きる生き方』についてお話しようと思います。
1年くらい前のことでしょうか。中学校の講演会みたいな日があって、その日のための土曜授業がありました。 その講演の題が
絶対に幸せになる生き方
でした。
言い切りの「絶対」という言葉に、僕はあまり良い印象を持たないのですが、「絶対」を付けれるほど講演者は自身があるのか!と思い、楽しみにしていたのを思い出します。
まず、「幸せとは何か」という事から始まります。
幸せとは何か
人によって、それぞれ思う、感じる『幸せ』というのは全く異なると思います。
ある人は「豪華なご飯を食べれることが幸せ」と言います。
ある人は「ご飯一杯だけでも食べれることが幸せ」と言います。
この「幸せ」に対する価値観の違いは、自身が生活する身の回りの環境や、国によって左右されるものだと思います。
「貧しくて毎日食べることが出来ない人もいるのに、どうして豪華なご飯を食べることが幸せなんて言えるの?」という批判が出てきそうです。
でもそれって、その国、僕で言えば『日本』という豊かで恵まれた国に生まれ育ったからで、紛争で家もなく毎日食べるのが困難な人達を気遣って言える批判ではないと思います。
今ある環境からさらに上を欲するのは、人間の自然な考えじゃないでしょうか。
貧しい人も裕福な人も、「今よりもっと上に」という考え方をするのは、おかしいことではありません。
ダメなのは、貧しくてまともに食っていけない人達がいる中で「もっと食べたい」と思うことではなく、今ある環境に感謝をしない事じゃないでしょうか。
今ある環境に感謝する事と、欲が出ないことはイコールになりません。
スポーツ選手でも、「親が支えてくれてここまでこれた(環境に感謝)」「だから、もう上のレベルは目指さない!(欲が出ない)」にはならないはずです。親が支えてくれたからこそ、もっと上を目指したい!と思うのではないでしょうか。
逆に、
「もうこんな親クソったれ!(環境に感謝してない)もっと裕福な家に生まれたかった!(欲が出てる)」
は最低です。
自分に置かれている環境に感謝しない人を置いて、
『幸せ』に対する価値観は人それぞれであり、それについて他人が口出しすべきではない。
ということを言いたいです。
『夢の軸』ピラミッド
講演の中で、「夢は年を重ねるごとに、軸が定まっていく」という発言がありました。
ということで、記憶を辿ってその図を再現してみました。
最下層である10代は、
「あれになりたい、これになりたい」と、多くの夢が頭に思い浮かんでくる時期。
ハッキリと「これになる」という決断がしにくく、それに向かって進むことが難しい年ごろ。私も将来の夢は決まっていません。
下から2番目の20代は、
「自分の長所や短所がはっきりと分かってきて、それに見合った行動ができる」時期です。10代で迷った「これになりたいな・・」という夢を、果たして自分は達成することが出来るのか否か、ある程度見通せる年代。
そして30代、
現在進行形で夢を達成しその職業に就けている、あるいはそれに向かって本気で取り組む時期。
この30代あたりで、自分がなりたい職業が決まり、
「自分はこうなる」という人生の「軸」が決まってきます。
40代は割愛。
人生の軸は早く決まったほうが良い
そうです。まったくその通りだと思います。
なりたい夢が決まり次第、「必要なスキルと不必要なスキル」の整理が付き、必要なスキルの習得に焦点を置いて取り掛かれるのは、言うまでもなく早いほうがいい。
現代では、なりたい将来の夢に
「Youtuber(ユーチューバー)」 が上位にランクインしているそうです。
Youtubeといえば、今でも利用者は増え続け、数年前と比べると再生回数の伸びは何倍にも増しているのが現状です。
ユーザー数が多く、動画を投稿するユーザーが多いため、視聴者が枝分かれしてしまうというのが、今からユーチューバーになるうえでの困難ですが、逆にとらえれば
「動画の質が悪いものばっかだから、努力すれば浮く」という考えができます。
ユーザーは確かに多くなった。けど、ろくに編集せずにチャチャっと投稿してる動画なんてザラ。ならば、視聴者が寄り付く工夫をすれば、自然と再生回数は伸びるはずです。
最後に
「幸運」があれば「不運」もあるように、「幸せ」な暮らしがあれば、「不幸せ」も自然と出てきます。
でもその「不幸せ」とどう向き合っていくか、という自分なりの解釈であったり捉え方であったりを良い方向に変えていくことで、本当に「幸せ」って思えるんじゃないでしょうか。
他人の文句ばかり言って「不幸せ」なんて言ってる人は、正直損です。
感謝・反省 人生の基本です( *´艸`)
最後までお読みいただきありがとうございました。
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